2018年6月27日 (水)

森友「疑惑」 松井知事・私学課の「認可」責任を問う6・9討論集会報告

 森友「疑惑」について、大阪府の松井知事と私学課が瑞穂の国小学院(森友小学校)を認可しようとしたことの問題点を明らかにし、責任を問う集会を6月9日に開催しました。約40名の方が参加され活発な意見交換が行われました。
 集会は初めに大阪府がようやく開示した「設置許可申請」に書かれた「瑞穂の国小学院」の教育理念、教育内容の批判から始まりました。この小学校の設置理念が「皇室・神ながらの道に沿った教育勅語」「5箇条のご誓文」や貴族制度の下での「ノブレス・オブリージュ」を柱におき日本国憲法や教育基本法に真っ向から反するものであること。教科や教育内容においても右派の主張に見られる極めて特異なもの(例えば家族観)であること。異様に授業時間数が多いばかりか、総合的な学習時間には「国史」「修身」「礼法」「国家論の醸成」等が入っていること。総じてこのようなものを大阪府私学課(当時松井知事の指揮下にあった)が「認可相当」としたことそのものが大きな問題でした。続いて、開示された私学審議会での議論について報告が行われました。焦点は、私学審議会の委員会は何度も教育理念、経営状態、募集状況等々について疑念が出されたにも関わらず、事務局である私学課が強引ともいえるやり方で認可の方向にもっていこうとしたことです。2015年に「認可相当」と答申を松井知事に提出したあと、森友小学校が問題となり、籠池氏が申請を取り下げる直前まで私学課は認可の方向にもっていこうとしています。驚くべきことです。しかも、小学校の校舎は所有地になければならないという設置要件さえ満たしていないのに、強引に申請を受け付け、私学審議会にかけているのです。財務省が公開した900ページにわたる資料では近畿財務局が極めて前のめりの姿勢で突き進んでおり,
2013年9月から2015年1月までの間に8回の面談、15回の電話での相談が行われている。私学課と私学審議会に対して執拗に早く認可するよう(つまり籠池氏に早く土地が売れるように)働き掛けていることです。さらに、何人もの政治家が間に入って働きかけていることも浮かんできました。
 報告に対して会場からは、「私学審は本当に教育勅語を理念とすることや教育内容について審議したのか」や「土地所有でないとダメを通した、豊中市が公園に、大阪音大が校地に買おうとしても値下げしなかったのが、安倍夫人が絡むとなぜすすむのか」「大阪府は籠池が取り下げたから大阪府は関係ないというが、認可相当まで強引に進めた責任があるはずだ」「国会の証人喚問で籠池氏は一番腹を立てているのは松井氏に対してといっている」「会計検査院がどうしてもっと追及しない?民間では資料がありませんなど通用しない」等の意見がだされました。
 集会は、まだまだ資料が隠されている、経緯も徹底的員追及していきたい。この集会で議論になったことに基づいて、大阪府と私学課に公開質問状と資料の公開要求を行っていくことを確認しました。また、安倍政権のもとで森友問題は闇の中に葬り去られようとしている。これでいいのか。道徳教科化を進める安倍の一番やりたかった学校、教育勅語を教える学校が森友小学校。安倍首相、財務省や大阪府がこんな学校を作ろうとしたことを許せるのか。真実を明らかにして、徹底的に批判していこうとと確認しました。

 *現在、公開質問状の作成作業を進めています。7月10日ごろには大阪府に提出する予定です。

2018年5月 4日 (金)

おわりに

皆さん。もし国有地不正売却、報告書の改ざん等いわゆる「森友問題」が表面化したことで、結果として豊中市に設置することがかなわなかった「瑞穂の國記念小学院」とはどのような学校であったのか、あろうとしていたかの一端はお分かりいただけたでしょうか。

 それは一口でいうなら戦前・戦中の学校と同じように、日本の国=神の国=天皇が支配する国という国家観を持ち、その国家に従順で徹底的に奉仕する、時には命も投げ出すといった考えを持つ子どもたちを作り上げようとする学校だったのです。

 このような学校を安部首相夫妻、松井大阪府知事、そして日本会議に集う人々が一体となって作りあげようとしていたことは恐ろしいことです。

 しかし、さらに恐ろしいことは、森友学園の小学校のような学校が、もはや特異な学校ではない状況に、日本の教育・教育現場がなりつつあることです。改悪教育基本法は、その目標に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という目標を加えられました。これを基に新しい学習指導要領が作られ、小学校では「道徳」が教科化され授業が始まっています。「日の丸・君が代」は当たり前のように教育現場に入り込み、大阪府では大阪府「国旗・国歌」条例とそのもとでの職務命令により「君が代」斉唱が強制されています。右派教科書が採択され使用が強制されています。教職員の管理・統制が「評価・育成システム」や「新たな職制」の設置で給与に差をつけることで進んでいます。

 私たちは、今安部政権、松井・橋本ら維新政治の下で教育・教育現場がどうなっているのか、どうなっていくのかに最大限の注意を払う必要があります。「森友学園」批判はその大きな課題の一つです。

 

A6

6;特異な「総合的な学習の時間」

 

 目を引くのは、3年次からの「総合的な学習時間」の内容です。まず、本来中国大陸由来のものながら、今や「日本の伝統と文化」と称される「将棋」「茶道」「算盤」。そして戦前・戦中はいざ知らず、現代では死語に近くなった「史学」(→歴史学)、「国史」(→日本史)。もっとも内容は戦前・戦中のものかも知れません(例えば「国史」は「天孫降臨」や「神武天皇」で始まるとか)。

 「修身」「心の教育(宗教的情操)」「偉人伝」と心のあり方を操作、「洗脳」する教育が並びます。心のみならず「礼法」(礼儀作法)をたたき込むことで身体まで操作されます。

さらに「論語」で儒教道徳(恐らく道徳的徳目だけが)が吹きこまれます。

 このような心の有り様の下での「日本国論」「国家論の醸成」は、日本の国=神の国=万世一系の天皇が支配する国、との国家観であり、それに忠義を尽くせ、命を捨てても守りぬけとの国家観となるでしょう。

 最後に「学校給食の考え方」も特異なものです。例えば、「いただきます」とは、「日本の風土や文化が凝縮された言葉であり、古来豊かな自然を崇拝し、万物に命が宿ると考える日本人が、野菜や魚、肉などの『命をいただく』との意味を持ちます」といったところです。ここには万物を神とみなし、万物に神が宿るとするアニミズム、宗教の発端とも神道ともいえる非合理的、非科学的な考え方が満ちています。さらに、「瑞穂の國記念小学院」は「食事を通して、五感を発達させ、命の尊さを教え、感謝の気持ち、楽しさ、喜び等の情緒を育て云々」と高邁な理念を語ってわりには、学校給食が外部調理施設に委託する「給食弁当」(現在公立中学校でも実施されており、生徒たちの評判は芳しくありません)であり、給食施設も、「再加熱用設備(弁当箱)」等にとどまっているのは残念なことです。

A5

5;森友小学校が、日本の民族主義、国家主義に基づく反動思想に満ちあふれた学校であることを端的に示しています。

 

 「神ながらの道精神」を土台とした「教育勅語」教育が、「日本人としての誇り」のみを身に付け、他国人を見下す、あるいは人間全体を見下す「ノブレスオブリージュ精神」を身に付けた人間しか生み出さないことは、Q1で示した通りです。

 また、ここで云う「国家有為の人材」「国家への貢献」は、いわば神がかった国家=天皇制国家に忠誠を尽くす、その国家のために命を投げ出す「人材」を意味するとしか考えられません。

 森友学園の背骨というべきものが三つあげられています。一つは「教育勅語」であり、さらに「五箇條の御誓文」と「歴史と伝統に基づいた教育」です。

 「歴史と伝統」が森友学園の場合、これまでの脈絡からして天皇・天皇制、およびそれにまつわる文化としか読めませんから、それに基づく教育とは天皇・天皇制教育の意味です。およそ国民が主権者である日本国憲法とその下で成立した1947年教育基本法の精神とは相容れぬ反動的教育です。

 「五箇條の御誓文」は、明治天皇が「新しい国づくりの方針を神々に誓うという形」で発表した、と右派教科書でもよく取り上げられるものです。天皇はその中で、会議を開き、世論に基づいた政治をめざすこと等を明らかにし、この方針に基づき、多くの改革が実行された、と説かれます。彼らにとって何より肝心なのは、天皇が新しい方針を発表した、というところです。「会議」「世論」とあたかも民主主義的政治が目指されたように誤解させますが、この場合、せいぜい倒幕に動いた雄藩(薩摩、長州、土佐等)の旧藩主、藩士たち(その後、天皇制官僚に変化していきます)による合議が念頭に置かれているに過ぎません。天皇中心の絶対主義国家づくりの方針を持ち上げているのです。

 これらに基づく「日本精神の高揚」「国家観の醸成」なるものが、「明治維新」によって成立し、細かい変化は遂げたものの敗戦まで存続した天皇制絶対主義国家の絶対視、天皇・天皇制国家を絶対とみる「日本精神」という反動思想そのものであることは言を待ちません。

 「男女別クラス」というのに突然目を引かれます。「男女七歳にして席を同じうせず」といったところでしょうか。「躾」や「けじめ」や「心の育成」とか麗々しく書いてありますが、男女同権とか、基本的人権とか、戦後日本の教育で大事にされてきたはずの価値が、この小学校ではどう扱われているのか、推して知るべしでしょう。

A4

4;理数教育は科学的・合理的なものであり、「美しさ」や「畏敬の念」といったなにがしかの宗教的、非合理的なものにつながることを対象とするものではありません。

 

 算数科方針の中に、算数とは美しいものであり、その「美しさ」の一つに「図形や式の対称性やバランスに見られる美しさ」があると記述されています。また、「美しさ」を子どもたちに実感できる授業を経験させるためには、「教師自身が算数にかかわる美しさを深く理解し、その感動を伝えたいと強く望まなければなりません」と記されています。「美しさ」「感動」そのようなものに心ひかれ算数を扱うというのは、図形や式に或る種の「神秘性」「宗教性」を見いだし、教団に近い集団を作り、数学を秘儀のように扱ったピタゴラス・ピタゴラス教団を想い起こさせます。数学は数学的方法・手段を用いて世界を徹底的に合理的に解釈しようとするものであり、本来「神秘性」や「宗教性」に近づいていくものではないはずです。

 

 算数科方針に見られる或る種の「宗教性」は、理科教育方針ではより端的に表現されます。それは、「『大自然への驚き、予感との矛盾』等の科学的興味を喚起し、最終的に『完璧なまでに調和に満ちた大自然への畏敬の念』を心に刻んだ人物が育まれることを切に願う」といった部分です。「大自然」へ「畏敬の念」を持ったりしては、およそ理数科的探究を自然に及ぼしていくことはできません。「大自然」に「畏敬の念」を持つというのは、宗教的な態度であり、これでは「大自然」の分からない点はすべて「神の仕業」「神の摂理」であり、それはタブーであり、ということで、最初から人間の探究に「しきい」を作ってしまう態度であり、理数科的探究、科学的探究を阻害してしまう態度です。科学は徹底的、合理的に「大自然」に迫っていくものであり、最後は「神」や非合理的なものに解決を見いだしていくものではありません。

 

 以上のような意味からいうと、森友学園・小学校の理数科教育は、合理的・科学的な思考・態度を子どもたちに身に付けていく教育というより、宗教的・非合理的な「思考」・態度を身に付ける「教育」といえるでしょう。

 

A3

3;記紀神話を基にして天皇制国家を絶対化・神格化した「神国思想」で子どもたちを、戦前・戦中と同じように「洗脳」しようとしています。

 

 明治政府の官僚たちは、天皇を唯一の主権者とした国家(絶対主義天皇制国家)を作り上げるため、日本の国は、神の思想である「万世一系」の天皇が、代々統治してきた国であるという「神話」を古事記・日本書紀(記紀)神話を基に作り上げました。いわゆる「神国思想」と呼ばれるものです。従ってこの思想はたかだか100年余の歴史しか持たないものです。日本の歴代の支配者たちは、この思想をあらゆる手段を使って国民に浸透させようとしました。「教育勅語」を背骨とした学校教育がその最たるものでした。この教育を受けた子どもたちが、日本=天皇の国=神の国として、外国人、ことにアジアの人々に対していわれなき「優越思想・選民意識」を持ったことは云うまでもありません。それがアジア太平洋戦争の末期に、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」の思想として、日本の侵略戦争や植民地支配の合理化、正当化、美化につながっていったのです。

 

 さて、森友小学校は「カリキュラム編成にむけての方針」において、社会科・国語科において「国家観の醸成について」述べ、ここで「~記紀(古事記・神話の重要性について)~」を取り上げます。戦後教育を受けて育った「日本人は、記紀も含めて日本の神話」を教えられておらず、「日本という国がどのようにして始まり、その後日本人がどのような道を歩んできたかを示す、根本、ルーツというべき大切なものが抜け落ちている」と断じます。ここにあるのは、神話と史実を混同させようという非科学的、非合理的な姿勢そのものであり、神話をひたすら信ぜよという「宗教」教育以外の何ものでもありません。小学校自身がこれを否定せず、「宗教や神話」が「国の精神的支柱」だと言い切ります。さらに、「古代から継承されてきた大切な価値の連続性が寸断される」と言います。ここでは「古代から継承されてきた大切な価値」なるものが、天皇・天皇制の歴史を指すのかも知れませんが、これも史実から云えば、当時の支配者たちが自分たちの支配を正統化・神格化・絶対化するために創作した、多くが「神話」なのです。これを明治以降の日本の支配者たちが再び持ち出したものに過ぎません。支配層が創作した「建国神話」を信じ込んだ民族が、「民族としての伝統と文明力」に「大いなる誇りをもって諸外国」とまともに接することができるとも思えませんが、そのために「日本はどのように歩んできた国なのか」、「『日本の建国の理想』を活き活きとした描写で子どもたちの心に響かせる」と云います。史実と現実を混同し、日本は神の国、「神武創業」が近代天皇制国家の始まりといった「国家観」を身に付けようというのです。こうした明治以来支配層が国民に植えつけてきた「神話史観」が、結局アジア・太平洋戦争の悲劇につながったことの反省が、小学校の「方針」には微塵もありません。

 従って「記紀をしっかり伝えていきたい」、「古事記を大切に扱いたい」という森友小学校の「方針」は断じて受け容れられるものではありません。「国家観」の醸成と言いますが、ここで想定されている「国家」は日本国憲法が想定している主権者が国民の民主主義国家ではなく、天皇制国家、天皇中心主義国家であり、その「国家観」とは、「神話史観」としか言いようがありません。

A2

A2;家庭、家庭教育に特異な位置づけを与え、現代の経済状況、社会状況の中で十分な家族関係が結べない家庭に過大な要求を押し付けるところです。

 

 森友小学校(いや、この教育理念を書いた人、籠池氏?)は、独特の、特異な家族観を持っているようです。それは「家庭の中での自分や先祖からみた自分、自分から見た先祖、山川草木国土悉皆皆自然の中での自分の位置づけ、自分の所属している民族国家と多民族国家との違い」という点にそれは良く表れています。どの家庭にも父母(しかも健在で)兄弟がおり、どの家庭にも先祖がおり、そして自分は父母の子、先祖の子孫であるのみならず、自然の中から生み出されたものであり(自然の中に人為的な「国土」が入るのも奇妙ですが)、家族が集まって民族となり、それは国家を為し、自分は一つの民族国家にしか属さない、といった家族観です。従って自分の存在にとって大切なものは、父母、兄弟であり、先祖、民族、国家ということになります。

 こうした見方に決定的に欠けていること、むしろ間違いといっても良いのは、「家族」「民族」「国家」といったもの自体が歴史的な産物であり、時代によって変化していくものであり、固定的なものではないということです。現在の家族の様々な有り様、「アベノミクス」の下で経済格差が広がり、一人親家庭、ことにいわゆる「母子家庭」が置かれている厳しい状況等は目に入っていないようです。

 

 「人間は、幼児期に母より愛着形成により人を信頼し、託し、成長します」などと、幼児期からの子育てを母親の責任に押しつけるような発言を平気で行えるのは、現在の、ことに経済的・社会的に厳しい状態に置かれている母親たちの現状を見ていないとしか言いようがありません。また、幼児期に母から愛されなかった子どもはロクなものにならないと言っているも同様です。

 「家族力が崩壊している家庭が目立」つと上から目線の見方を示しますが、「崩壊」の原因は家族や個人の側にあるのですか、と問いたくなります。それこそ家族を崩壊させる事態は「アベノミクス」的経済、市場経済・競争主義万能、弱肉強食の日本の資本主義そのもののあり方に根ざしているのではありませんか。教育理念の執筆者に問いたいものです。

 子どもたちが「何のために生き、何をせねばならぬのか」を教えるために、まずは「家庭力の構築」だと執筆者は言います。「働きたい人も子どもが学校から家に帰ることには自宅に居り、愛情をかけてやり、親である自分の利己を理性によってコントロ-ルすることであります」と。「一億総活躍社会」、「働き方改革」などで残業代ゼロにしてまで、男も女も仕事に駆り立てる安倍政権に聞かせてあげたい提言です。執筆者も、自己の「教育理念」「家庭教育」論を達成するためにも安倍政権の「働き方改革」に反対してくださいね。

 

A1

1;戦前・戦中、日本の学校教育が犯した誤りを反省し、その上に立った日本国憲法や1947年教育基本法の理念に立った学校教育を目指しているとは思えない「理念」を立てています。

 

 森友小学校問題を考える大前提があります。それは戦前の学校教育の背骨を貫いた考え方は「教育勅語」にあったということです。教育勅語は戦前・戦中、日本の唯一の主権者天皇が臣民(

)

天皇の支配の対象となる者、天皇以外のすべての者)に下した命令の形をとっています。内容は三つに分かれます。第一は、日本は代々天皇の国であり、臣民が立派な行いをしてきたのは、天皇・天皇制が支配する国だったからであり、教育の根元もここにある。第二は、未来永劫続く皇室の運命を助けるために、色々な「徳」を守れ、ことに戦争する場合、命を投げ出して闘え。第三は、以上の皇室の祖先の教訓を天皇自ら守るから、お前たち臣民も守れ、というものです。

 

 「教育勅語」の精神で育った戦前・戦中の若者たちが究極的には、アジア・太平洋戦争においても、戦地に赴き、自らの命を亡くし、そしてアジア諸国人民はじめ他国人の命も奪った後、敗戦を迎えたことは誰でも知っているところです。天皇の権威・権力を記紀神話に基づいて絶対化、神格化し、天皇を頂点にすえた中央集権国家の構築を目指した明治官僚たちの、歴史上100年にも満たない作文が猛威をふるったのです。それゆえ、こうした「教育」を作った教育勅語は、戦後すぐに「排除」(衆議院)、「失効確認」(参議院)されました。そして国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を謳った日本国憲法の下に1947年教育基本法が作られ、戦後教育はスタートしたのです。戦後教育は、「教育勅語」が作り上げた「教育」の反省の上に始まったはずです。

 

 森友小学校の「教育理念」には、「皇室・神ながらの道に沿った教育勅語、ノブレスオブリージュの精神を尊重した小学校カリキュラムによって」とあります。「教育勅語」の「精神を尊重した」とは、先述のように、もはや戦前・戦中の教育の結果を一切反省することもなく、過去の日本が犯した愚を繰り返す道にはなりませんか。

 

 さらに、「教育勅語」に「皇室(の道に沿った)」や「神ながらの道(=神そのものとしての道、神のお心のままの道)」といった形容が付いていることには絶句するしかありません。教育勅語を神格化、絶対化する姿勢に他なりません。そもそも記紀神話を利用しながら天皇や皇室を絶対化・神格化しようとした明治以来の支配者たちの姿勢を引き継ぐものです(これは、後述する社会科・国語科のカリキュラム編成方針とも関わります)。

 

 また、「ノブレスオブリージュ」とは、「位高ければ徳高きを要す」、「持てる者の義務」、「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」と、どうとでも訳せますが、この小学校に入ってくる子どもたちは一体何様だというのでしょう。根拠なき「優越感、プライド」を持った子どもたちを育てるのでしょうか。もっとも日本神話を史実として信じ込ませば、世界に冠たる「日本人」という、鼻持ちならぬ非科学的な意識は育つかもしれません。その危険性はあります。「豊かな人間力」「確かな学力」をつける具体策の一つに「公益世務 日本の伝統・歴史を学び、日本人としての誇りを持つことにより、公に尽くす心を磨く」というのです。この際「公」が、森友小学校が考える「国家」=天皇制国家であるとすれば、日本の国益のために他国人を犠牲にしていとわぬ日本人が育つということです。

 

2017年12月31日 (日)

大阪市への子どもの貧困対策を求める陳情書の教育子ども委員会における審議報告

12月6日に、大阪市教育子ども委員会において、11/24に18団体と48名の賛同を得て提出した、「『大阪市子どもの生活に関する実態調査報告書』を重視した子どもの貧困対策の実現を求める陳情書」が審議されました。私たちは公明、自民、維新、共産に協力を依頼し、委員会では公明、共産が私たちの陳情書を取り上げ、以下のようなやりとりがありました。共産党が陳情書の採択を求めましたが、他が引き続き審議を求めた結果、継続審議となりました。私たちは今後も引き続き、大阪市に対して[報告書」が明らかにした「必要な支援が必要とする子ども・家庭に確実に届く」施策を要求していきたいと思います。

1)公明則清議員はSSWについて、全区に専任一人を常勤で採用することを要求して発言しました。
「教員が子ども・家庭に福祉的支援が必要と気づいたときに行政の適切な支援につなぐのにSSWが必要。申請主義からアウトリーチに転換するのにSSWの役割が大きい」とした上で、①少なくとも全24区にひとりのSSWを区の専任として配置することが必要、②身分が不安定な非常勤ではなく、常勤採用とすることが必要として、SSWの人材確保と処遇改善を要求した。これに対し、市教委は「拠点となる中学校に1日6時間、週3日で市が10名、7区が7名計17名のSSWが活動している。SSWを平成28年、29年と各二人増員しており、全24区をカバーできるよう国の基準に合った22名の人材確保に努めている」とし、各中学校区にSSW1名を確保するという国の目標からすれば、大阪市は128校区に128名のSSWが必要であるのに対し、1人のSSWが6中学校区を掛け持ちすることで22名が国の基準に合っていると強弁しました。

2)共産党井上議員は子どもの生活実態調査を受けて、どのような課題を認識し、どのような貧困対策を遂行していくのか聞きたい」との問うたうえで、特に就学援助に対し捕捉率を上げる施策を要求しました。
 これに対し大阪市の回答は、「『報告書』により一人親世帯や若年出産世帯など貧困に陥るリスクが高いことが確認された。平成30年度から本格的な子どもの貧困対策に取り組むため貧困対策推進本部で検討しており、支援を必要とする世帯に必要な支援を行なっていきたい」との具体策にかけるものでした。井上議員は、市はこれまで、非課税世帯の保育料を徴収し始め、一人親世帯の上下水道料金の減免をなくし、出産一時金を引き下げてきたではないかと、市のこれまでの施策が「貧困対策に照らしてどうだったのか検証」することを要求し、市が行なってきた新自由主義的な施策を批判しました。
 その上で、特に就学援助を取り上げ、就学援助の所得基準が低いことが就学援助を受けにくくしているとし、市は就学援助の捕捉率を上げるためにどのような施策を考えているのかとの質問しました。市は[就学援助率は平成18年度の38.1%から平成28年度の25.7%に下がっているが、依然として全国や政令市の平均を大きく上回っている」と居直る始末。これに対し、「10年で8%(12.4%?)も下がっていることが問題、全国の平均を大きく上回っていることはそれだけ貧困状態が深刻だと言うことの現れだ」として、「必要としている子どもが就学援助を得られるような制度改善」を求めました。

「大阪市子どもの生活に関する実態調査報告書」を重視した子どもの貧困対策の実現を求める陳情書

【陳情趣旨】

 昨年の夏、大阪市は小学校5年、中学校2年、5歳児のいる約5万6000世帯を対象とした大規模な「子どもの貧困調査」を実施し、76.8%の高い回答率を得ています。そこでは、年収200万円以下の世帯は、小5・中2世帯で10.3%、5歳児以下世帯8.3%にのぼり、全国平均の約1.5倍となっていることが分かりました。そして、家庭の貧困が子どもの生活に直結している実態も明らかになりました。
 今年の春には、大阪府立大学山野研究室が大阪市から委託を受けて調査結果の分析を行い、「大阪市子どもの生活に関する実態調査報告書」(以下、「報告書」)を公表しました。「報告書」は、大阪市に対して子どもの貧困の深刻さを受け止め、以下のような重要な指摘を行っています。 
  ①生活保護制度や就学援助制度、児童扶養手当、児童手当が必要な対象世帯に届いていない ことが明らかとなりました。「報告書」は、これらの制度の捕捉率を上げるための施策を求 めました。
  ②10代で出産した親やひとり親世帯ほど生活実態が厳しいことも明らかになりました。「報 告書」は、これらの世帯を「優先して支援すべきグループ」として、若年出産者に対する経 済的支援、保育所への優先的入所支援、就労支援などを一体的に実施する必要性を指摘し ました。また、母子世帯の非正規雇用の割合が高いことから、ひとり親世帯の雇用や正規 雇用化に向けた取り組みの検討も指摘しています。
  ③「報告書」は、貧困な世帯の医療費負担を軽減するため、子ども医療費助成制度の拡充や国 民健康保険料及び利用者負担の減免の拡充を求めました。児童扶養手当など現金給付の水 準の引き上げを国に働きかけることも求めました。
  ④「報告書」は、世帯の貧困によって保護者の不安やイライラが募り、それが子どもたちの心 理的・精神的症状につながっていることを明らかにしました。これらの実態に対して、「報 告書」は「セーフティネットとして誰もが通う学校」での支援の展開を指摘し、「チーム学 校の機能」を強めていくことを提言しました。その際、「キーになる人材」としてスクールソ ーシャルワーカーの存在の重要性も指摘しました。
  ⑤今後の課題として「複数年かけて初年度同様様々な角度から全体像をつかむ、次年度更に 分析を進めて構造を明らかにする方法」や「当事者の声を直接聴く取り組み」など、継続 した実態調査を提起しています。

 大阪市は、「報告書」が出てから「こどもの貧困対策推進本部会議」を二度開催していますが、「報告書」が求めた具体的な施策に応えるものとはなっていません。生活保護など社会保障制度を必要としている人に「確実に届ける」ための施策やひとり親世帯への支援策については、「地域や学校で支援を要する世帯を発見し、適切な支援につなぐ仕組みが機能するように取り組む」(「大阪市子どもの生活に関する実態調査報告書を踏まえた課題と対応の方向性について」(2017年5月12日))と指摘するのみで、そのために何が必要なのか具体策を示していません。若年出産の世帯の生活の困難さについては、学校での「性に関する正しい知識の普及」「乳児に触れ合う機会や母親の体験談を聞く機会の拡充」(同上)の強調、貧困な世帯の子どもたちの心身の困難さについては、学校での健康教育や「規範意識・社会性の育成など家庭教育」(同上)の重要性を強調しています。必要な経済的な支援や親の正職化を進める就労支援、社会保障の充実等を抜きにしたこれらの方向性は、貧困な世帯の自己責任論を増幅させる危険性があります。大阪市教委にいたっては、NPOなどの実施する「こどもの居場所づくり」の支援として、教員採用試験を受ける学生に「こども食堂」等でのボランティア経験を「加点」するとしただけでした。
 8月7日、私たちは、大阪市に対して「大阪市子どもの生活に関する実態調査報告書」を踏まえた質問書を提出しました。「報告書」がこれまでの施策の不十分さを指摘しているにもかかわらず、大阪市の回答は多くの項目で「検討中」としたり、従来の施策の継続を説明したりするもので、新たな取り組みを示すものとはなっていませんでした。

 大阪府の子どもの貧困は、全国で2番目の深刻さです。大阪市は、大阪府内でも最も厳しい状況にあります。大阪市の「子どもの貧困調査」は、憲法に保障された子どもの「教育への権利」や生存権そのものにかかわる深刻さを持っていることを示しました。まさに大阪市の子どもの貧困対策は待ったなしの状態です。しかし、「報告書」が重要な指摘をしているにもかかわらず、大阪市はそれを重視した対策を検討しているとは思えません。市民が声を上げ、行政に具体的な施策を求めていくことが極めて重要になっています。私たちは、「報告書」が指摘した課題の中でも、緊急性の高い以下の5項目について早急に対策をとることを求めます。

【陳情項目】

1.困窮度の高い世帯の生活保護制度、就学援助制度、児童手当の捕捉率を上げる具体的な施策をとってください。

2.ひとり親世帯のための児童扶養手当の捕捉率を高める施策をとってください。養育費の受給率を高める施策をとってください。

3.若年出産世帯のニーズを把握し、きめ細かな経済的支援と就労支援を具体化してください。保育所への優先的入所を保障する施策を早急に具体化してください。

4.「チーム学校」の「キーになる人材」であるスクールソーシャルワーカーを全中学校区に常勤配置してください。そのために、スクールソーシャルワーカーの養成を支援し、待遇の改善を進めてください。

5.大阪市の子どもの貧困の構造を明らかにするために、複数年かけて実態調査を行ってください。その際、当事者の声を直接聴く取り組みも進めてください。

« 11月29日、大阪市との「子どもの貧困対策」に関する「協議」に関する再質問書

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