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2018年5月 4日 (金)

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1;戦前・戦中、日本の学校教育が犯した誤りを反省し、その上に立った日本国憲法や1947年教育基本法の理念に立った学校教育を目指しているとは思えない「理念」を立てています。

 

 森友小学校問題を考える大前提があります。それは戦前の学校教育の背骨を貫いた考え方は「教育勅語」にあったということです。教育勅語は戦前・戦中、日本の唯一の主権者天皇が臣民(

)

天皇の支配の対象となる者、天皇以外のすべての者)に下した命令の形をとっています。内容は三つに分かれます。第一は、日本は代々天皇の国であり、臣民が立派な行いをしてきたのは、天皇・天皇制が支配する国だったからであり、教育の根元もここにある。第二は、未来永劫続く皇室の運命を助けるために、色々な「徳」を守れ、ことに戦争する場合、命を投げ出して闘え。第三は、以上の皇室の祖先の教訓を天皇自ら守るから、お前たち臣民も守れ、というものです。

 

 「教育勅語」の精神で育った戦前・戦中の若者たちが究極的には、アジア・太平洋戦争においても、戦地に赴き、自らの命を亡くし、そしてアジア諸国人民はじめ他国人の命も奪った後、敗戦を迎えたことは誰でも知っているところです。天皇の権威・権力を記紀神話に基づいて絶対化、神格化し、天皇を頂点にすえた中央集権国家の構築を目指した明治官僚たちの、歴史上100年にも満たない作文が猛威をふるったのです。それゆえ、こうした「教育」を作った教育勅語は、戦後すぐに「排除」(衆議院)、「失効確認」(参議院)されました。そして国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を謳った日本国憲法の下に1947年教育基本法が作られ、戦後教育はスタートしたのです。戦後教育は、「教育勅語」が作り上げた「教育」の反省の上に始まったはずです。

 

 森友小学校の「教育理念」には、「皇室・神ながらの道に沿った教育勅語、ノブレスオブリージュの精神を尊重した小学校カリキュラムによって」とあります。「教育勅語」の「精神を尊重した」とは、先述のように、もはや戦前・戦中の教育の結果を一切反省することもなく、過去の日本が犯した愚を繰り返す道にはなりませんか。

 

 さらに、「教育勅語」に「皇室(の道に沿った)」や「神ながらの道(=神そのものとしての道、神のお心のままの道)」といった形容が付いていることには絶句するしかありません。教育勅語を神格化、絶対化する姿勢に他なりません。そもそも記紀神話を利用しながら天皇や皇室を絶対化・神格化しようとした明治以来の支配者たちの姿勢を引き継ぐものです(これは、後述する社会科・国語科のカリキュラム編成方針とも関わります)。

 

 また、「ノブレスオブリージュ」とは、「位高ければ徳高きを要す」、「持てる者の義務」、「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」と、どうとでも訳せますが、この小学校に入ってくる子どもたちは一体何様だというのでしょう。根拠なき「優越感、プライド」を持った子どもたちを育てるのでしょうか。もっとも日本神話を史実として信じ込ませば、世界に冠たる「日本人」という、鼻持ちならぬ非科学的な意識は育つかもしれません。その危険性はあります。「豊かな人間力」「確かな学力」をつける具体策の一つに「公益世務 日本の伝統・歴史を学び、日本人としての誇りを持つことにより、公に尽くす心を磨く」というのです。この際「公」が、森友小学校が考える「国家」=天皇制国家であるとすれば、日本の国益のために他国人を犠牲にしていとわぬ日本人が育つということです。

 

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